2015年10月7日水曜日

秋の声

去る9月12・13日の両日、(公財)日本伝統俳句協会の第26回全国俳句大会が 、新潟県の越後湯沢にて開催された。   

       峰寺に別れ惜しめば秋の声    征一

金沢の今村征一様が、その大会でお詠みになった句である。吟行に出かけると、ついその土地の固有名詞を入れがちであるが、この句は峰寺とだけ詠んである。このため、全国のあらゆる峰寺を想起できる、普遍的な句となった。読者は、自分が親しくしている峰寺に身を置いて、この句を鑑賞できるのである。

この句で使われている「秋の声」という季題について、考えてみよう。具体的に挙げればどんな音があるだろうか。例えば、枯葉の葉擦れの音。残暑の頃の、木の葉もまだ活力を残している頃の葉擦れの音ではない。晩秋の風が木々を吹く音だ。

澄み切った川の水も、晩秋の音を立てて流れる。堰を落ちる水も澄んだ音を立てる。錆びた狗尾草から聞こえて来る、すがれた虫の声。枯れた菊を焼く音。越冬の準備に入った鵙の高音。芒を吹く風の音。他にも様々な秋の音が有るだろう。これらを全部纏めて、「秋の声」を滅び行く命の声と解釈出来ないだろうか。「秋の音」ではなく「秋の声」なのだ。

掲句の「別れ惜しめば」という措辞には、再び会うことが叶わないかも知れない、という思いが込められている。だから「秋の声」が聞えるのだ。「峰寺」という場所が暗示する一期一会の観念と、「秋の声」という季題とが響き合って、別れを惜しむ思いが見事に表現されている。

今月29日には神戸の摩耶山で、第24回摩耶山俳句大会が開かれる。読者諸氏も峰寺に登って、秋の声を聞かれては如何だろう。


2015年10月4日日曜日

名人と共に

毎月最も緊張する句会が終わった。汀子先生宅で開かれる下萌句会である。この句会の緊張感に比べたら、本部例会・本部吟行など物の数ではない。3日前から緊張モードに入る。物を言わなくなる、部屋に籠り切りになる等、明らかに通常と違う雰囲気になる。

汀子先生のお宅まで徒歩で20分。しかし往路は家内に車で運んでもらうかバスで向かう。午後1時に邸内に入ると、先ずお庭に回り、季節の句材が有れば句作。玄関に戻り、脇の池の金魚を眺めてから入る。金魚を見ると、何故か気持ちが落ち着く。20畳ほどの広さがある応接間に入り、先着の方々に挨拶してからいつもの席に着席、2時の締め切りまで静かに推敲する。やがて20数名の方が揃う。汀子先生が入って来られたら全員起立して挨拶する。このようにして通い詰めて、もう9年になる。

今日は4名の方が欠席されたが、いつものように格調高い句会となった。5句出句の5句選で、全句入選の方が1名、4句が1名、3名が7名、2句が7名。余は1句の方。私は3句入選で、まずまずの成績だった。汀子先生の句は3句採れ、一致率指数は68.0だった。

この句会も高齢化が着実に進んできた。最高齢は大正14年生れ。昭和1桁の方も多い。名乗に手間が掛かる様になって来た。先生も耳が少し遠くなられた。それでも素晴らしい句を拝見でき、うっとりする。
       
      水近き名残りの萩を誘ふ風     仁子

今月号の「九年母」の招待席にご出句頂いた仁子(きみこ)さんのお句である。お庭の萩をお詠みになったのであろう。嘱目即吟でここまで詠めるとは、素晴らしい事である。

汀子先生に、九年母主宰を継承して6ヶ月が過ぎたが、会員諸氏のご協力で無事運営できていることを報告し、喜んで頂いた。

      投釣の糸の伸び行く秋の空    伸一路