2015年10月14日水曜日

踏み出す勇気

今年も但馬の桔梗の御寺遍照寺へ吟行に出かけた。参加者は神戸から5名、赤穂から4名、そして鳥取から2名の、合計11名。内訳は女性8名、男性3名。神戸の5名は殆ど毎日顔を合わせている、気心も技量も熟知している仲間。これが今回の発起人だ。そして呼び掛けた先が赤穂と鳥取。この三者の間には、名前は知っているもののほとんど面識がなかった。しかしそれでも赤穂と鳥取の皆さんは参加してみようと思い立たれた。

全く面識が無くても、お互いに九年母の会員と言うだけですぐ打ち解けられる、これが九年母会の90年の歴史が育んできた懐の深さである。九年母の会員というそれだけで、播水先生から推薦状を頂いているような親しみを覚える。不思議な感覚である。今回もそうだったのだろう。お互いに面識が無くても、主宰を中心とする同心円の仲間なのだ。初対面でも直ぐに句会ができる。しかし、結社が違うとと戸惑う。どうしてよいか分からないからだ。

それにしても良く参加されたものだ。共通している認識は主宰を知っている、という事だけ。遍照寺での吟行時間は30分のみ。片道3時間をかけての吟行では、句会と帰路の時間を勘案すればこれが限界。その短時間で俳句が出来るか出来ないか分からないが、行ってみようと決意された。これは勇気のいる決断だっただろう。それでも仲間を誘って参加され、句会では全員が入選された。この事は、きっと大きな自信になると思う。やったら出来る、と。

何事につけても、引っ込み思案の人がいる。俳句の世界では、引っ込み思案で大成した人はいない。芸術家というものは、ある程度自分を押し出していかないと世には出られない。そのためにも、先ず一歩踏み出す勇気を持つことが大切だ。帰りの電車の中では様々な質問をお聞きし、分かる範囲で丁寧にお答えした。生れてはじめて私に質問された方も有った。満足な回答であったかどうか分からないが、その勇気を称えたい。一歩を踏み出されたからだ。

                      御寺へと逸る心や秋の晴    伸一路

2015年10月11日日曜日

存問の一例

虚子はその著『虚子俳話』の中で、「お寒うございます、お暑うございます。日常の存問が即ち俳句である」と述べておられる。広辞苑を見てみると、「(存とは見舞う意)安否を問うこと。慰問すること」とある。つまり、存問とは挨拶をすること、と考えてよいと思う。

先日NHKの番組で、「勿体ない」という言葉を採り上げていた。飽食の時代であっても、食べ物を粗末にすることは勿体ない事である。この言葉を念頭に置いて、もう一度日常の生活を見直すべきではないか、との問題提起であった。

この場合の勿体ないは、当事者と廃棄される、又は粗末にされる物との関わり方である。粗末にする人とされる物との関係である。俳句で言えば、作者と季語との関係と言える。これに対して、関西地方では、別の意味の「勿体ない」がある。

かつて札幌で勤務していた時のことである。幼稚園児であった娘が腎臓を患い入院したことが有った。家内の母が滋賀から飛行機で駆けつけてくれた。私と二人で自宅を出る際、義母の靴の向きを直して置いてあげた。それを見た義母が「ああ、勿体ないこと」と言ってくれた。この「勿体ない」と食べ物の「勿体ない」とは、全く違うものである。

ここには、義母という有難い方の靴を揃えるという私の行為と、その行為を有難いものとして受け取った義母との、心の交流がある。その心の交流を、虚子は存問という俳句理念に掲げられたのではないかと思う。この事は俳句で言えば、作者と季題との関係であり、季題を媒介とした作者と読者との心の交流、つまり存問が俳句なのである。

         食進む新米といふそれだけで     伸一路