2016年1月15日金曜日

春隣の読み方

先日の吟行会で春隣という兼題が出た。レベルの高い句会であり良い句が沢山あったが、問題は披講の際の春隣の読み方に有った。この句会では披講子を決めず、ホトトギスの一般の句会同様、各自が自分の選を披講する。

さて、披講が始まると、ある人は「はるどなり」と読み、またある人は「はるとなり」と濁らずに読んだ。聞いていると、年齢の高い方に「はるどなり」と読む方が多かった。どちらが正しいのだろう。

歳時記を開いてみると、角川合本歳時記には「春近し」という季題の傍題に「春隣」があって「はるどなりと」仮名がふってある。一方、ホトトギス新歳時記ではこの逆で、「春隣」の傍題に「春近し」がある。どちらを季題として立てるかは、編纂者の感性だろうが、問題はその読み方。角川では「はるどなり」、ホトトギスでは「はるとなり」。汀子邸での下萌句会では、「はるとなり」と読まないとブーイングの嵐となる。それも「はる・となり」と軽やかに読むのである。

面白い事に、虚子編「ホトトギス歳時記」では「はるとなり」と読ませているのに対し、昭和59年版の角川合本歳時記では「はるどなり」ではなく「はるとなり」と読ませている。角川の歳時記では、編集上何らかの変遷があったのだろう。

どちらが正しいという事ではない。要は作者の感性であり、披講者の感性の問題であろう。「はるどなり」と「はるとなり」、どちらに春への期待感を感じるか、である。私は「はる・となり」と軽やかに読む方が、春が近い様に思う。読者諸氏は如何だろうか。どちらでも同じ、という方があったら、将来が案じられる。語感を磨いてほしい。