選をする際に陥りやすいのが情緒である。一種の感情移入であり、俳句の内容に惚れてしまう、と言っても良い。雑詠選に出された句に、
冬桜ひかえめな母思い出し
というのが有った。選をする人はこの句を読んで、自分の母親の思い出に浸るのだ。母も控えめだった、との感慨に陥る。そうなると、この句が盲目的に愛おしくなって採ってしまう。冬桜という季題が響き合って、良い句だなと思ってしまう。文法も何も分からないくらい、盲目的な選になってしまうのである。
私が選をする場合、一読して先ず定型を踏んでいるかどうかを確認する。字余り、字足らずになっていないか。次に、季題の働きが十分かどうかを確認する。その次に文法上の誤りや、送り仮名の誤りをチェックする。あくまでも冷静に見つめるのである。その上で、作者の詠んだ感動が本物か偽物かを探る。心から感動して詠んでいるか、受けを狙って、頭の中だけで詠んだものか。それを判定するのである。
掲句で言えば、「思い」は「思ひ」の誤り。最後の「出し」はいわゆる連用止めであり、「出す」と終止形で止めた方が落ち着きが良い。感動は本物と思われて、甘さはあるが好感の持てる句だ。
互選の特選句の寸評を聞いていると、特選に採った句に盲目的に惚れ込んでしまって、句が見えていない人がある。自分の好き嫌いだけで、情緒的な選をしている人も多い。情緒というのは選の罠だと思う。罠に掛からないように、落し穴に墜ちないように、慎重に選をして欲しい。俳句の大家や選者に理科系の人が多いのも、むべなるかなである。