2016年1月28日木曜日

席題

野鳥俳句会という句会がある。六甲道勤労市民センター俳句講座の受講生を中心に結成されたつぐみ句会とひよこ句会が、私の主宰就任を機に統合されたもので、在籍者24名と、巨大な句会である。欠席投句が目立つようになってきた他の句会と違って、毎回ほとんど全員出席。主宰直系の厳しい修行の場である。

この句会の特徴は毎回席題が出ることである。当日、私が白板に席題を一つ書く。この席題で1句詠み、兼題で詠んで持参した4句と共に、5句出句するのである。兼題は1か月前に出されるので、推敲する時間はたっぷりあるが、席題1句は30分以内に詠まなければならない。

しかし、互選や私の選の結果は、むしろ席題で詠んだ句のほうが成績が良いのである。席題では推敲の時間はほとんど無い。閃きの勝負である。逆にそれが、作者の真の実力を反映することになるのだ。席題の恐ろしさはそこに有るのだが、実力を涵養する上では有効な方法である。

虚子や播水の頃の句会の様子を探ってみると、席題で10句詠むやり方が多い。幹事が半紙に席題を二つ書き、それを句会場の鴨居にご飯粒で張り出す。これを受けて、虚子を含めた参加者が10句詠む。このような句会だったようだ。ホトトギスの雑詠投句が10句(今は3句)だった頃のこと。今から思うとすさまじいエネルギーである。

いつの頃からか、席題に代わって当季雑詠が主流となった。当季雑詠は自分の気に入ったものを自由気ままに詠めばよい。しかしこのことが季題の習得という大切な勉強の機会を奪ってしまった。気ままということは自分の得意な季題ばかりを詠むということ。理科しかできない、国語しかできない、という偏った勉強になってしまったのだ。

兼題で詠むということは、与えられた季題の勉強をすること。席題で詠むということは、応用問題を解くこと。当季雑詠だけの句会では、季題を深く勉強することも応用問題を解くこともできない。席題に果敢に挑戦して、実践力、即戦力を高めて頂きたい。