ある句会で麗かという題が出た。春四月の季題である。ホトトギス新歳時記では「春の光がうるわしくゆきわたり、すべてのものが明るく朗らかに見えるありさまをいう」とある。広辞苑には「空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま」とある。これらから麗という季題は、春の光が明るくおだやかに行き渡るさまであると理解される。
これに対して長閑という季題をホトトギス新歳時記を見てみると「心がのびのびしてくるような春らしい日和をいう」とある。角川合本歳時記では「春の日はゆったりとしてのびやかである。その静かに落ち着いたさまをいう」とある。
これらの説明を要約すると、麗かという季題は、春の日の明るく朗らかなさまを云うのに対して、長閑という季題は、ゆったりとのびやかなさまをいうのである。今回の句会の句を幾つか書き抜いてみよう。
麗かやバギー並べて立ち話
園うららバナナ持ち上ぐ象の鼻
どちらの句もしっかり詠めていると思う。しかし、上記の季題の本意を考えるとき、季題の働きに問題が有りそうだ。両方の句の季題を、長閑に置き換えてみると、次のようになる。
長閑けしやバギー並べて立ち話
園のどかバナナ持ち上ぐ象の鼻
どちらが良いか、微妙な違いである。季題が違うという事は、本意が違うという事。言葉の感覚を磨いてほしい。そのためには、とにかく優れた例句を沢山読んで季題の本意を会得することが大切である。