2016年5月28日土曜日

継続という事

大阪府警本部教養課の方が2人訪ねて来られ、哲也先生が担当しておられた機関誌の選者を引き継いでほしいとのお申し出が有りました。播水・哲也と受け継がれて来た仕事であり、私は当然の事として、お引き受けしました。

その時に頂いた資料によると、昭和26年に55歳で亡くなられた本田一杉というホトトギス同人が初代の選者の様で、播水先生で3代目、哲也先生で4代目です。本田一杉さんが何年担当されたかは分かりませんが、2代目の牧野美津穂というホトトギス同人は31年10ヶ月、播水先生は18年10ヶ月、哲也先生は15年11ヶ月と、それぞれ大変長い間担当されています。さて私が何年出来るか、心配になって来ました。

俳壇を担当するという事は、体力的にも精神的にも、相当な覚悟が必要です。和歌山県田辺市に本拠を置く「紀伊民報」という地方新聞の俳壇の選者を、この3月から、哲也先生の後任として私が務めております。聞いたところでは、播水先生は約50年間、哲也先生は16年間、選者を務められたとか。このような地味なご努力が有ったからこそ、九年母会が維持・継続されたのだと思います。

最近では、俳句結社は雨後の竹の子の如く創設され、3年を待たずに消えてゆく、と言われていますが、播水先生は70年間の長きにわたり、九年母会を主宰してこられたのです。男性の平均寿命を考えると、普通の人にはとても不可能な長さです。

病気のデパートの様な私には、とてもこの様な真似は出来ませんが、毎日打席に立って、安打をコツコツと打ち続けて行きたいと思っています。継続の大切さ、難しさを痛感する今日この頃です。