2016年6月18日土曜日

右脳と左脳

人間の大脳は右脳と左脳とに別かれます。右半分と左半分という事です。広辞苑に依りますと、右脳は空間的・音楽的認知を司っているとされ、逆に左脳は言語的・分析的・逐次的情報処理を司っている、とあります。つまり、職場で情報を分析したり、事務を処理したりする知的な仕事は左脳が、音楽を聞いたり、作曲したり、詩を書いたり、絵画を鑑賞するという情緒的な仕事は右脳が担当しているのです。

では、俳句を詠むときにはどちらの脳が働いているのでしょうか。虚子はその著『虚子俳話』の中で、「季題の有してをるあらゆる性質、あらゆる連想、それ等のものを研究し、これをその情熱の中に溶け込まして、その思想とその季題とが一つになって、十七字の正しい格調を備へて詩となる。唯の詩でない。俳句といふ詩なのである。」と述べています。この文章の内容からすると、俳句は右脳で詠むと言えます。

句材をしっかり観察するのは情報の処理、つまり左脳の仕事です。選評の際に、説明的と評される句は左脳の産物。これに対して余情・余韻の深い句、と評される句は右脳の産物、という事が出来ます。播水は、心を澄まして対象が語るのを待て、と述べておられます。まさに右脳の働きです。

詩が右脳で詠むものであれば、詩である俳句も右脳で詠むべきです。見たままを五七五の句にしても、それは単なる句であって俳句では無いのです。知で詠まず情で詠む、そのために私は、季題を情で理解するようにしています。楽しいものか、悲しいものか、嬉しいものか、寂しいものか、という基準で季題を考えます。こうして季題の本意を掴みます。

俳句を構成する言葉を適格に選ぶのは左脳の仕事ですが、季題の本意に基づいて、詩情豊かに言葉を配列するのは右脳の仕事、と言えるでしょう。