それだけではなく、俳句そのものも高齢化が進んできたように思います。雑詠の選をしていると、最近、次のような句が目立つようになりました。
風船をついて遊びし日も遠く
草餅を母と作りし日の遠く
囀や庭も古りたり吾も老い
どの句も、過ぎ去りし昔を思い出す、作者の思いの強い句です。平明で余情の有る句を詠むようにと、播水、哲也両先生は説かれました。しかし、ここに挙げた句に、余情が有るでしょうか。余情とは老いた我が身を嘆くことでも、過去を回想することでもありません。詩を詠む事です。詩を詠むためには、例え体は衰えても心の緊張を保ち、感動を探すことです。辛いとき、苦しい時こそ、自分の気持ちを鼓舞するためにも、心して若い句を詠みましょう。哲也先生の句集『復興』の最後から二つ目に、こんな句が有ります。
熱燗や話昭和を遡り 哲也
要は心の持ち方です。心まで老いてはなりません。